アラサー女だけどライターになりたい

言うだけならタダだよね(読書・アイドル・その他なんでも)

第1回 麻薬みたいなライティング講座に通ってみた話

ライターになりたいと思った私がまず最初にしたことは、ライティング講座に通うことです。
正確には、このライティング講座を見つけたと同時くらいに、ライターになりたいと明確に意識したと言えるかもしれません。

 

第0回でも書いた通り、私のライターになりたいという考えはかなり漠然としたものです。
全く計画性も何もあったもんじゃない。とりあえず目についたものに飛びつくという、どうしようもない焦りっぷり。
そんなことをする暇があったら、とにかく書け!と今なら言えるのですが、当時は自分なりに必死だったと思います。


隔週で全8回、4か月に渡って実施された講座は、月々1万円。
ライティング講座にしては破格の値段だと思いますが、薄給の身としてはなかなかの痛手でした。


しかし、私はこの講座を中退しています。
実際に講義を受けたのは3回だけ。
決して講座の内容がつまらなかったわけではありません。
ためになる内容だと思いましたし、講義の内容を使ってバズを起こしている方々がたくさんいるのも事実です。
今思えば、少し勿体なかったかなという気もします。
それでも、私はそれ以上その講座を受けることはできませんでした。
あれは麻薬みたいなものだったと思います。


この講座では、毎週1回の提出日があり、主催者がオッケーを出すと、それを主催者のメディアに載せてもらえるという制度がありました。
受講生全員が載せてもらえるというわけではありません。だいたい提出者の半分くらいが掲載されていたかと思います。
私も受講開始から4回の提出を行い、そのうち3回は掲載してもらいました。
そして、3回目に掲載をしてもらったときに、もうこの講座には通わない方がいいと思いました。

 

講座を受けている間、毎週1回の提出に合わせて、バズるためのエモい記事を書くことだけをひたすら考えていました。
自分の経験を切り貼りし、共感を呼べる見せ方を考える。どこを拡大してどこを装飾するのか……。
気が付けば、できあがっているのは「創作」の話です。
それでも、メディアに載せてもらい、PV数が出れば、満足感に浸ることができます。
そしてまた次の提出日に向けて、物語を練るのです。

 

今週も掲載されましたよ、という3回目の連絡が来て、ひとりでニマニマとパソコン画面を眺めていたときに、ふと思いました。
これは一体誰の話だろう。
気が付けば、私の実際の経験も、感情も、どこにもない記事が出来上がっていました。
よくあるwebコンテンツの文体。エモさを狙った言葉の並べ方。
え、これめちゃくちゃ恥ずかしいオナニー記事だ……。
もう顔から火が出るほど恥ずかしい。
こんなのをドヤ顔で送って読んでもらっていたのか。今すぐ消してほしい。
というかこんな記事書いた時点で却下してよ…なんで載せてるんだよ……。
もはや逆切れでしかない言葉がグルグルとめぐり、結局二度とその講座に顔を出すことはありませんでした。
講座どころか、その界隈に近づくのも怖い。開かずのFacebookのアカウントが出来てしまいました。


あまり詳しく書くと、どこの話だか特定されてしまいそうなので、この辺にしておきます。
(すでにここまでの話で、分かる人には分かってしまうかもしれませんが……)
名義は違いますが、いまだにこの記事、あがってるんですよね。
軽率なことはするもんじゃないですね。
そんなこと言っても、結局この記事だって、自己満足であることに変わりはないのですが。


次回は、軽率なことはするもんじゃないと反省したはずなのに、軽率にインターンライターに応募してみた話を書きます。

第0回 アラサー女だけどライターになりたい

ライターになりたい、と漠然と思いました。
それはもしかしたら、新卒で入った会社のお仕事がつまらないからとか、人気ブロガーとして注目を浴びている人たちへの憧れと嫉妬とか、そんなどうしようもない理由からだったかもしれません。
それでも、なりたいと思ってしまったことは事実であり、幸か不幸か、思ったことは実行しなければ気が済まないタチなのです。


これから書くのは現在進行形の出来事で、ところどころで一つの区切りのようなものも迎えながらも、それすらもいつどうなるかわからないような、そんなアラサー女の人生の断片であり、書いた端から注釈が加えられ、訂正され、後悔と反省を織り交ぜ、趣味嗜好を垂れ流していくような、毒にも薬にもならないブログになる、かもしれません。


まずは、ライターもどきとして半分くらい夢を叶えたような叶えていないような、そんな2017年8月現在までのことを書いていこうと思います。

 

相当な頻度で本やらアイドルやらの話を挟むかもしれませんが、ご容赦くださいませ。
(過去に書いたものは折角なのでそのままにしてあります。)

自担にマウンティングされた話

ブログタイトルも変えて連載みたいなことを始めようと思っていたのに早速脱線するんですが、8/27放送の関ジャムのKinKi Kidsが最高すぎたのでその話をしていいですか?

とりあえずまだ観てない方は観て!いますぐ観て!
お近くのKinKi担に言えばすぐにダビングでもなんでもしてくれるから観て!


私は少し前にこんな記事を書いたんですが…

fvrtthngs.hatenadiary.jp

関ジャムを観ていたらまさかの自担にマウンティングされるという面白すぎる事態が発生したので、それについて書きたいと思います。

 

事の発端は、放送前週に流れた予告のこの一言に遡ります。
(お時間に余裕のある方はぜひ予告も探してみてください。)


剛「光一とたとえば友達でもないし、時間をすごく共にしたわけでもない人やから…」

この予告が出た段階で、KinKi担界隈は若干ざわつきました。
「あなたが時間を共にしたわけではなかったらそれ以外の人は一体何になるの?」
「これは不仲っぽアピールをしつつ最終的には結局それでもうまくいく俺ら自慢話パターンか?」
などなど、本編に対する期待と不安でTLが埋まりました。
KinKiは別に仲良しこよしというわけではないし、ファンとしてもそれを望んでいるわけではありませんが、変に不仲を強調されるとファンも(本人たちも)あまり嬉しくないという複雑な(面倒くさい)グループです。

何はともあれ、このとき私たちは微塵も疑っていなかったのです。
「光一と友達でもない、時間をすごく共にしたわけでもない」というのは剛さんのことを指すのだと。


いざ、放送が始まりました。
初っ端から再び予告の発言を繰り返し、不穏な空気で始まった本編ですが、
ところで相変わらずソファの使い方がおかしいことには突っ込まずにはいられない。

KinKi Kidsのここがダメ!
・ソファにうまく座れない><
・気がつけば三人掛けのソファの割合が
 眼鏡|剛|光一 になっている

眼鏡さんがちょこんと座っていたのがとても可愛かったです。

 

まあそんなこんなで、豪華な面々からのメッセージに、
KinKi Kidsという人格」(by堂島大先生)
「無意識の中で意識してる」(by光一さん)
というパワーワードも生まれ、
いよいよ中盤、予告での例の発言が飛び出しました。


それがこれ。

剛「ただ俺が思ってる、光一これやったら面白いのになとか、光一こんなことやってみてもいいのになっていうことが色々あるけど、それは世間の人からすると、光一とたとえば友達でもないし、時間をすごく共にしたわけでもない人やから、結構賛否両論になると思うけど、時間を随分と共にしている俺からしたら、メッチャおもろいのにな、みたいなのがあるやんか」

 

あれ???
光一さんと友達でもないし時間を共にしてないの、我々のことだったー!!!

 

つまり、
「光一と友達でもない、時間をすごく共にしたわけでもない人」=剛さん
ではなく
「光一と友達でもない、時間をすごく共にしたわけでもない人」=剛さん以外の世間の人
「時間を随分と共にしている人」=俺
の構図だった。
俺(剛さん)とそれ以外の明確な線引きのマウンティングだった…。

 

いや、そうだよね、出会ってから約26年、ずっとデュオとしてやってきた人たちが、時間をすごく共にしてきたわけでもないって表現で括られるわけないよね。
そんな構図を持ち出さずとも、それは十分にわかっておりますとも…。

さらにそのあと、KinKiの関係性について外野から言われることについては、
「KinKiらしさは第三者が勝手に決めている」

「皆、その謎解きを一生懸命やろうとしている」
と牽制のお言葉が。
だって、友達でもなく時間をすごく共にしてきたわけではない我々からしたら、謎解きするくらいしかできないんです。

そしてその想像力を掻き立てられることこそが、ある意味でKinKiの魅力だとすら思っている。

今の時代において「語りたくなる」「共有したくなる」って武器になると思うので。

とはいえ、変な曲解や大げさに煽りたてるのはいただけないですが。


予告の印象から一変、なんか盛大にマウンティングと自慢をされて終わったような気がする本編でした。
でもファンとしてはそれで大満足です。
ふたりの間に何者かが入るとは思っていないし、それこそ前回のコンサートのタイトルの
「We are KinKi Kids Dome Concert 2016-2017 TSUYOSHI & YOU & KOICHI」

のYOUの部分に恐縮してしまうようなファンたちなので。
(でも、剛さんの口ぶりからすると、俺と世間の人との間に、少しだけ近いところでファンの存在もあるような、多少なりとも信頼をしてくれているような、勝手な想像をしてみたり)


というわけで、予告のところばっかり面白くて取り上げてしまいましたが、お互いの声を意識しなくてもだいたい合ってる!とか、合作を作るときは相手に歌ってほしいメロディーや詞を作るという話とか、とにかくKinKi KidsKinKi Kidsに誇りをもってて自慢と惚気の連続であまりに素敵な番組でした。

ただし予告が悪い!でも予告以外は最高でした!テレ朝さんには足向けて寝れないですね。

ジャニヲタのマウンティングについて考えてみた

先日、同人誌「悪友」を読んだ。
オタク女の浪費をテーマにした赤裸々な告白は他人事とは思えず、なかなかに背筋が寒くなる。


しかし何より興味深かったのは、ソシャゲ沼にはまったという女性が語った「課金マウンティング」という言葉だ。
某アイドル系ソシャゲ界隈では、SNSで課金額を公表する、ガチャを回してはその結果をアップするなど、とにかく「これだけこのジャンルを愛してる!」ということを課金で示すという。
アイドルからソシャゲまで、ありとあらゆるオタク沼の浪費事情が語られていたけれど、マウンティングについて明確に言及があったのはこの課金マウンティングだけだった。


でも本当は、どんな趣味にもマウンティングがある。と思う。
ジャニヲタになってから漠然と感じていたモヤモヤの正体は、もしかしたらこれだったんじゃないかと思うのだ。


というわけで、初心者ジャニヲタが日頃感じるマウンティングについて、まとめてみた。
ジャニヲタといっても自担界隈の話がほとんどなので、全グループに当てはまりはしないだろうということで、あしからず。
そして自分もついやっちゃうよなぁという反省も込めての話です。

 

①お金を出さなきゃファンじゃない!系のマウンティング
ソシャゲの課金マウンティングと同様、とにかくお金かけてます系のマウンティング。
大量に買ったCDの写真をアップする、ジャニショでの担当全買いレシートをアップするなどといった行為で表されることが多いが、純粋にファンとして担当を応援することにお金をかけるのは別に何らおかしなことではないと思う。
問題はそれを周りに強要したり、これくらいお金を出さなきゃ本当のファンとは言えないなど、他のファンを下に見ることである。
とはいえ利益が出なければ活動ができないのも事実。
周りを圧迫しないように気をつけつつ、お互いの消費を盛り上げるのも大切だと思うので、加減が難しいところ…。

 


②全ステ・多ステしちゃう系のマウンティング
誰だって、できることなら全ステしたい。
全ステに限らず、競争率が高い初日・記念日・千秋楽についてもマウンティングされがち。
Twitterのbioやアカウント名にさりげなく参戦日程を書いてみたり、「全ステできることになりました!」と書き込んだりと、アピールの方法は様々。
何も言わずに淡々と全日程のレポを流してくるという猛者もいる。
ちなみにマウンティング返しとしては「ひとりが何回も入るより、少しでも多くの人が入れた方が嬉しいよね」「デビュー日はやっぱり昔からのファンの人に入ってほしいな」「1公演入れるだけでもありがたいよ~」など、より良識のあるファンを装うことが多い。
グループや公演によって、全ステ・多ステが叩かれやすいのか普通のことなのかが結構違うので、空気を読んだ発言が大事。

 


③神席入っちゃいました系のマウンティング
誰だって、できることなら神席に入りたい。
個人的にやられるとモヤモヤするのに自分でもやってしまうマウンティング第1位。
「やばい、近い」「まって、むり」「ちかすぎやばいしぬ」など、公演前後のテンションでつい呟いてしまったのだろうとわかるが、天井席からそのツイートを見るこっちの気持ちにもなってほしい。
といいつつ、自分もアリーナとか入ったら絶対「むり」「ちょっとまって」「ちかい」「やばい」みたいなこと言っちゃうんだこれが。
ファンサもらった、銀テープ取れたなどとセットになることが多いため、結構ダメージが大きい。
席がいまいちだったときは「天井席だった分全体の演出がじっくり見れてよかった~」「スタンドは埋もれないから見やすくていいよね」などなど、自分の席のメリットを挙げて気持ちを盛り上げることで、マウンティングを回避したい。
結局どんな席でもなんだかんだめちゃくちゃ楽しいもんです。

 


④何があっても担当を応援するよ系のマウンティング
流行りの熱愛報道絡みでよく見かける話。
「これくらいで担降りするなんて、愛が足りない!」「何があっても、○○のこと信じてるし応援し続けるよ」といったことをSNSで表明することで、自分の愛の深さを示そうとする。
一方で、「これだけ好きだったからこそショックなんだよ!」「これで平然としている方が愛が足りない!」といった返しも見られる。
ファンとしての正しいあり方、みたいな話は結構根深い。

 


⑤解釈厨的マウンティング
雑誌のインタビューからテレビやライブでの発言、服装や表情など自担をありとあらゆる側面から考察し、解釈を加えるタイプ。
だいたい過去の発言やら何やらを引用して、根拠づけする。
これだけ自担のことよく理解してます系のアピールで、うまいこと言ってバズらせるのが得意なファンもいる。
勉強になるし、一側面として受け止めるのは純粋に興味深いが、解釈を押し付けたり、あまりにTOアピールが強いと辟易するし、新規ファンからすると結構しんどい。
ちなみに自担界隈はお互いネタにしつつポエミー合戦が始まることも多いので、一種の様式美なのかもしれない。

 

 

たぶん細分化すればもっと色々あると思うが、とりあえずSNSでよく見かけるし自分もやりがちなマウンティングあるあるでした。

 

こういうことを考えていると、いい加減マウンティングのない趣味を見つけたいと思うけれど、たぶんそうじゃないんだろう。
どんな趣味にもマウンティングがあるのではない。そう思ってしまう私がマウンティングに囚われているだけなんだ。
私が探しているのはマウンティングのない趣味じゃない。
私がマウントを取れる趣味だ。誰にもマウントを取られない趣味だ。
きっと同じようにアイドルが好きな人でも、マウンティングなんてことは全く気にせずに純粋に好きの気持ちを楽しんでいる人たちもたくさんいるんだろう。


いつかそんな風になりたいと思いながらも、今はまだ、SNSを見ては悔しさに地べたを這いずり回り、自意識と承認欲求にまみれながら少しでもうまいこと言って良いこと言って見えない敵と闘って生きていくしかないみたいだ。
ま、それだけ面倒くさいこと考えながらもまだ好きでいられるってだけで、十分幸せなのかもしれない。
なんていう一文すらも、計算して書かなきゃいけないような面倒くさい生き物なんだよ、オタクっていうのは。という自戒を込めた話でした。

KinKi Kidsを好きになってから約1年経って、やっとKinKi Kidsのファンになれた話

ただのど新規ファンが何を偉そうなことをって思われるかもしれないけど、新規ファンから見た2016年のKinKi Kidsはこんな感じだったんだなってくらいに思ってください。

 

去年の今頃に自分でもどうしてかわからないくらい急にKinKi Kidsのことが気になり始めて、今年の1年間はほとんどKinKi Kidsに費やしてしまった。
正確には他のジャニーズとかハロプロにも手を出し始めてたからKinKi Kidsだけとは言えないかもしれないけど、お金とか時間のかけ具合でいったらダントツだと思う。

好きになる前のKinKi Kidsのイメージは漠然としていた。
ただ、幼稚園の頃にも少しだけ好きだった期間があって、生まれて初めて買ってもらったCDは「硝子の少年」だったし、その次に買ってもらったのは「愛されるより愛したい」だった。広い意味でいえば出戻りファンと言えなくもないのかもしれない。
あとはドラマとか、テレビ番組のイメージだった。金田一少年銀狼怪奇ファイル、未満都市、33分探偵、堂本兄弟……あれ、意外と知ってたなって思ったけど、どれもずいぶん昔の話で、最近のふたりが何をしているのかはほとんど知らなかった。

というより、最近のグループの活動のイメージが全然なかった。
堂本光一が「Endless SHOCK」という舞台をやっているのは知っていた。階段から落ちるやつ、くらいの認識で。
堂本剛がソロで音楽活動をやっているのは知っていた。なんか大きな石を抱えて歌ってたけどどうしたんだろう、くらいの認識で。
でも、KinKi Kidsが最近何をやっているのかは知らなかった。それこそぼんやりとどこかで聞いた「不仲説」を信じてしまいそうなくらい、失礼な言い方をしてしまえばグループとしてはもう「終わって」しまったのかもしれないと思っていたくらいだった。

そこから色々なことを調べて、CDも買って、ライブの円盤も買って、FCにも入って、少しずつ今のKinKi Kidsのことがわかってきた気がした。
たしかにグループとしての活動は少ないけれど、決してふたりの仲が悪いとは思えないこと。
レギュラー番組での様子、過去のライブのMCでの様子、雑誌のインタビューの言葉の端々から、お互いのことを尊重して大事に思っていることは伝わってきた。
もうすぐデビューから20周年、出会ってからは25年にもなるというふたりに、仲が良いとか悪いとかそういう次元の話は似合わないんだと思った。
過去におそらく色々あったんだろうこともわかった。未だに一部のファン同士でのごたごたも存在しているということも何となく察せられた。

ふたりだけというのがどれだけ大変で、どれだけ特殊なのか。
同じ名字で、同じ年代で、関西出身で、性格は正反対、たまたま同じタイミングでお姉さんが事務所に応募して、社長の目に留まって、そのままふたりだけでデビューなんて、ほんと設定盛りすぎ。
運命とか、奇跡とか、KinKi Kidsのファンは軽率に使いがちだけど、そうでも言わなきゃやってられないって。

なんかもう、びっくりするくらい面倒くさくて、びっくりするくらい最高のふたりだった。
たぶん本腰を入れて向き合おうと思ったら自分もすっごい面倒くさくなると思った。
事実、ファンになれたって思えるまで1年もかかったんだから、自分の予想は外れてなかったと思う。
というわけで前置きが長くなったけど、散々こじらせながらも、約1年かけてKinKi Kidsのファンになれた話をしたいと思う。



いきなり結論から言ってしまえば、私がKinKi Kidsのファンになかなかなれなかったのは、KinKi Kidsのファンになるよりも先に堂本光一のファンになり、堂本剛のファンになってしまったからだった。
そもそもKinKi Kidsを好きなったタイミングが悪かったというか、今思えば最高のタイミングだったと思うけど、なんとも微妙な時期に好きになってしまったのかなと思っていた。
ちょうどKinKi Kidsのことが気になって色々調べ始めたのが去年の年末あたりで、ぎりぎり乙コンには間に合わなかったから、Twitterのレポでどうやら今年はPボーンがプレゼントだったらしいこととか、カウントダウンでふたり揃って出だしを間違えたことを嬉しそうに話す様子とか、それがばっちりWSに抜かれてたりとか、そんな話をにやにやと眺めていたけれど、次にコンサートに行けるのは来年なのかと思うと、少し凹んだりもした。
当然SHOCKの申し込みにもTU FUNKの申し込みにも間に合っていないので、そのころの私にとってはCDやBlu-rayが全てだった。
KinKi Kids堂本光一のソロも堂本剛のソロも、繰り返し見たし聴いた。

そのころから、私の中にはどこか違和感というか、もやもやしたものがあった。
しばらくして、5月に光一さんのソロのBlu-rayが出るという発表があった。
そして、6月には剛さんのソロのBlu-rayとアルバムが出るという発表があった。
それぞれの最新の活動が知れるということが楽しみな反面、私は不安で仕方なかった。たぶん、このもやもやした感情の正体に気が付いてしまうのではないかと思ったから。


予感は的中した。
だって、どっちも最高だったんだ。
堂本光一の作る世界観。照明の美しさ、格好良さ。ソウルフルで繊細なダンス。
堂本剛の音楽。最高に自由でファンクで、格好良くて泣けてさ。
何より、ふたりが楽しそうだった。全力で自分がやりたいことと向き合ってるって感じた。
それは、正直に言ってしまえば、KinKi Kidsとして活動しているときより、ずっと生き生きと輝いて見えるってことだった。

もちろんこれは私の個人的な感じ方だし、そもそもユニットとソロの活動を比べること自体が間違っていたと今ならわかるけれど、当時の私はなかなか割り切ることができなかった。
だからこそ、私は自分自身をKinKi Kidsのファンだとは言えないと思った。
他のファンの方々が言うように、KinKi Kidsの活動を増やして欲しいと、そのときは心の底からは思えなかったから。

それでもKinKi Kidsは好きだった。
でもそれはKinKi Kidsの作るものが好きというよりは、その関係性が好きというのに近くて、言ってしまえばコンテンツとして「消費」しているようなものだった。ずっと罪悪感みたいなものもあった。
KinKi Kidsの作るものが好きって、胸を張ってKinKi Kidsのファンですって言えるようになりたかった。


そんななか、7月にシングル「薔薇と太陽」がリリースされた。
現金だけど、ぐっと引き戻された気がした。
剛さんがギターを弾き、光一さんが踊る。
ふたりにしかできない表現があるってことを思い知らせてくれた気がした。
そしてそのことを、ふたりもやっと、やっとという表現が適切かどうかわからないけれど、やっとどこかで手応えを感じられているのかもしれないなんて、勝手に思っていた。

そこから先はあっという間だった。
アリーナツアーそして先日の東京ドームでのコンサート。
一体私は何を不安に思っていたんだろうってくらい、KinKi Kidsのコンサートは素晴らしかった。
あの空間は、KinKi Kidsだから作れるもの、KinKi Kidsじゃなきゃ作れないものだった。

特に、東京ドーム。
だって、あの広い東京ドームで、5万5千人の前で、たったふたりメインステージだけで本編を魅せきるんだよ?
すっごくシンプルで贅沢で、ふたりがふたりのために作ったコンサートだって思った。
もう彼らには豪華な演出は要らないし(照明の変態っぷりは増してたけど)、特別なファンサービスも要らない。
ふたりがそこにいるだけで、ふたりが歌うだけで、KinKi Kidsなんだって、何よりそれをふたりが自覚しているのなら、もう最強だ。


そして、ふたりが本当に楽しそうだった。
ソロコーナーで、光一さんは5万5千人をダンスで、歌で魅了して。全員がただひとりの一挙手一投足にあんなに熱くなって。
剛さんは圧倒的なバラードで惹きつけたと思えば、5万5千人を熱狂的に飛ばせて宇宙まで連れて行ってくれた。
そしてそこから一気に「薔薇と太陽」になだれ込んで、ふたりが歌い踊る。
あのイントロが流れてきた瞬間の、ドームを揺るがすほどの興奮が、あの客席全体の温度がさらに一層上がるようなあの瞬間が、忘れられない。


もしかしたら、別に今回がたまたま良かったわけじゃなくて、昔からずっとファンの方にとってみれば、昔から変わらず素晴らしいんだって言われるかもしれない。
私にとって初めてのコンサートだったから、特別に感じただけなのかもしれない。

でも、ど新規ファンながら、今年一年で私が感じたことは意外と見当はずれでもないんじゃないかと思う。
たとえば「陽炎」という曲を剛さんが作ったこと。今回のコンサートの構成に光一さんがかなり関わったらしいということ。
ふたりだからできるものを作るということについて、それぞれが色々な場面で言及していること。
何となく、ふたりにとっても今年がひとつの転機で、KinKi Kidsのあり方について改めて何か発見があった年なのかもしれないと感じた。
もしそうなのだとしたら、それをリアルタイムで感じられたこと、そしてこれからのKinKi Kidsにも、堂本光一にも、堂本剛にも、まだまだ期待していいんだって思えることが、純粋にとても嬉しいと思う。


優先順位はつけられない。
人生は一度きりと剛さんが言うなかで、ふたりの人生はやっぱり何よりもふたりがやりたいことのために使ってほしいと思う。
でもそれはソロだけじゃないんだってわかったから。
これから先、堂本光一としても、堂本剛としても、そしてKinKi Kidsとしても、最高のものを見せ続けてくれるって信じてるから。
今なら胸を張って言える。私は堂本光一のファンであり、堂本剛のファンであり、KinKi Kidsのファンだって。