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好きなものとか

読書とかアイドルとか

ジャニヲタのマウンティングについて考えてみた

ジャニーズ

先日、同人誌「悪友」を読んだ。
オタク女の浪費をテーマにした赤裸々な告白は他人事とは思えず、なかなかに背筋が寒くなる。


しかし何より興味深かったのは、ソシャゲ沼にはまったという女性が語った「課金マウンティング」という言葉だ。
某アイドル系ソシャゲ界隈では、SNSで課金額を公表する、ガチャを回してはその結果をアップするなど、とにかく「これだけこのジャンルを愛してる!」ということを課金で示すという。
アイドルからソシャゲまで、ありとあらゆるオタク沼の浪費事情が語られていたけれど、マウンティングについて明確に言及があったのはこの課金マウンティングだけだった。


でも本当は、どんな趣味にもマウンティングがある。と思う。
ジャニヲタになってから漠然と感じていたモヤモヤの正体は、もしかしたらこれだったんじゃないかと思うのだ。


というわけで、初心者ジャニヲタが日頃感じるマウンティングについて、まとめてみた。
ジャニヲタといっても自担界隈の話がほとんどなので、全グループに当てはまりはしないだろうということで、あしからず。
そして自分もついやっちゃうよなぁという反省も込めての話です。

 

①お金を出さなきゃファンじゃない!系のマウンティング
ソシャゲの課金マウンティングと同様、とにかくお金かけてます系のマウンティング。
大量に買ったCDの写真をアップする、ジャニショでの担当全買いレシートをアップするなどといった行為で表されることが多いが、純粋にファンとして担当を応援することにお金をかけるのは別に何らおかしなことではないと思う。
問題はそれを周りに強要したり、これくらいお金を出さなきゃ本当のファンとは言えないなど、他のファンを下に見ることである。
とはいえ利益が出なければ活動ができないのも事実。
周りを圧迫しないように気をつけつつ、お互いの消費を盛り上げるのも大切だと思うので、加減が難しいところ…。

 


②全ステ・多ステしちゃう系のマウンティング
誰だって、できることなら全ステしたい。
全ステに限らず、競争率が高い初日・記念日・千秋楽についてもマウンティングされがち。
Twitterのbioやアカウント名にさりげなく参戦日程を書いてみたり、「全ステできることになりました!」と書き込んだりと、アピールの方法は様々。
何も言わずに淡々と全日程のレポを流してくるという猛者もいる。
ちなみにマウンティング返しとしては「ひとりが何回も入るより、少しでも多くの人が入れた方が嬉しいよね」「デビュー日はやっぱり昔からのファンの人に入ってほしいな」「1公演入れるだけでもありがたいよ~」など、より良識のあるファンを装うことが多い。
グループや公演によって、全ステ・多ステが叩かれやすいのか普通のことなのかが結構違うので、空気を読んだ発言が大事。

 


③神席入っちゃいました系のマウンティング
誰だって、できることなら神席に入りたい。
個人的にやられるとモヤモヤするのに自分でもやってしまうマウンティング第1位。
「やばい、近い」「まって、むり」「ちかすぎやばいしぬ」など、公演前後のテンションでつい呟いてしまったのだろうとわかるが、天井席からそのツイートを見るこっちの気持ちにもなってほしい。
といいつつ、自分もアリーナとか入ったら絶対「むり」「ちょっとまって」「ちかい」「やばい」みたいなこと言っちゃうんだこれが。
ファンサもらった、銀テープ取れたなどとセットになることが多いため、結構ダメージが大きい。
席がいまいちだったときは「天井席だった分全体の演出がじっくり見れてよかった~」「スタンドは埋もれないから見やすくていいよね」などなど、自分の席のメリットを挙げて気持ちを盛り上げることで、マウンティングを回避したい。
結局どんな席でもなんだかんだめちゃくちゃ楽しいもんです。

 


④何があっても担当を応援するよ系のマウンティング
流行りの熱愛報道絡みでよく見かける話。
「これくらいで担降りするなんて、愛が足りない!」「何があっても、○○のこと信じてるし応援し続けるよ」といったことをSNSで表明することで、自分の愛の深さを示そうとする。
一方で、「これだけ好きだったからこそショックなんだよ!」「これで平然としている方が愛が足りない!」といった返しも見られる。
ファンとしての正しいあり方、みたいな話は結構根深い。

 


⑤解釈厨的マウンティング
雑誌のインタビューからテレビやライブでの発言、服装や表情など自担をありとあらゆる側面から考察し、解釈を加えるタイプ。
だいたい過去の発言やら何やらを引用して、根拠づけする。
これだけ自担のことよく理解してます系のアピールで、うまいこと言ってバズらせるのが得意なファンもいる。
勉強になるし、一側面として受け止めるのは純粋に興味深いが、解釈を押し付けたり、あまりにTOアピールが強いと辟易するし、新規ファンからすると結構しんどい。
ちなみに自担界隈はお互いネタにしつつポエミー合戦が始まることも多いので、一種の様式美なのかもしれない。

 

 

たぶん細分化すればもっと色々あると思うが、とりあえずSNSでよく見かけるし自分もやりがちなマウンティングあるあるでした。

 

こういうことを考えていると、いい加減マウンティングのない趣味を見つけたいと思うけれど、たぶんそうじゃないんだろう。
どんな趣味にもマウンティングがあるのではない。そう思ってしまう私がマウンティングに囚われているだけなんだ。
私が探しているのはマウンティングのない趣味じゃない。
私がマウントを取れる趣味だ。誰にもマウントを取られない趣味だ。
きっと同じようにアイドルが好きな人でも、マウンティングなんてことは全く気にせずに純粋に好きの気持ちを楽しんでいる人たちもたくさんいるんだろう。


いつかそんな風になりたいと思いながらも、今はまだ、SNSを見ては悔しさに地べたを這いずり回り、自意識と承認欲求にまみれながら少しでもうまいこと言って良いこと言って見えない敵と闘って生きていくしかないみたいだ。
ま、それだけ面倒くさいこと考えながらもまだ好きでいられるってだけで、十分幸せなのかもしれない。
なんていう一文すらも、計算して書かなきゃいけないような面倒くさい生き物なんだよ、オタクっていうのは。という自戒を込めた話でした。

KinKi Kidsを好きになってから約1年経って、やっとKinKi Kidsのファンになれた話

ジャニーズ KinKi Kids

ただのど新規ファンが何を偉そうなことをって思われるかもしれないけど、新規ファンから見た2016年のKinKi Kidsはこんな感じだったんだなってくらいに思ってください。

 

去年の今頃に自分でもどうしてかわからないくらい急にKinKi Kidsのことが気になり始めて、今年の1年間はほとんどKinKi Kidsに費やしてしまった。
正確には他のジャニーズとかハロプロにも手を出し始めてたからKinKi Kidsだけとは言えないかもしれないけど、お金とか時間のかけ具合でいったらダントツだと思う。

好きになる前のKinKi Kidsのイメージは漠然としていた。
ただ、幼稚園の頃にも少しだけ好きだった期間があって、生まれて初めて買ってもらったCDは「硝子の少年」だったし、その次に買ってもらったのは「愛されるより愛したい」だった。広い意味でいえば出戻りファンと言えなくもないのかもしれない。
あとはドラマとか、テレビ番組のイメージだった。金田一少年銀狼怪奇ファイル、未満都市、33分探偵、堂本兄弟……あれ、意外と知ってたなって思ったけど、どれもずいぶん昔の話で、最近のふたりが何をしているのかはほとんど知らなかった。

というより、最近のグループの活動のイメージが全然なかった。
堂本光一が「Endless SHOCK」という舞台をやっているのは知っていた。階段から落ちるやつ、くらいの認識で。
堂本剛がソロで音楽活動をやっているのは知っていた。なんか大きな石を抱えて歌ってたけどどうしたんだろう、くらいの認識で。
でも、KinKi Kidsが最近何をやっているのかは知らなかった。それこそぼんやりとどこかで聞いた「不仲説」を信じてしまいそうなくらい、失礼な言い方をしてしまえばグループとしてはもう「終わって」しまったのかもしれないと思っていたくらいだった。

そこから色々なことを調べて、CDも買って、ライブの円盤も買って、FCにも入って、少しずつ今のKinKi Kidsのことがわかってきた気がした。
たしかにグループとしての活動は少ないけれど、決してふたりの仲が悪いとは思えないこと。
レギュラー番組での様子、過去のライブのMCでの様子、雑誌のインタビューの言葉の端々から、お互いのことを尊重して大事に思っていることは伝わってきた。
もうすぐデビューから20周年、出会ってからは25年にもなるというふたりに、仲が良いとか悪いとかそういう次元の話は似合わないんだと思った。
過去におそらく色々あったんだろうこともわかった。未だに一部のファン同士でのごたごたも存在しているということも何となく察せられた。

ふたりだけというのがどれだけ大変で、どれだけ特殊なのか。
同じ名字で、同じ年代で、関西出身で、性格は正反対、たまたま同じタイミングでお姉さんが事務所に応募して、社長の目に留まって、そのままふたりだけでデビューなんて、ほんと設定盛りすぎ。
運命とか、奇跡とか、KinKi Kidsのファンは軽率に使いがちだけど、そうでも言わなきゃやってられないって。

なんかもう、びっくりするくらい面倒くさくて、びっくりするくらい最高のふたりだった。
たぶん本腰を入れて向き合おうと思ったら自分もすっごい面倒くさくなると思った。
事実、ファンになれたって思えるまで1年もかかったんだから、自分の予想は外れてなかったと思う。
というわけで前置きが長くなったけど、散々こじらせながらも、約1年かけてKinKi Kidsのファンになれた話をしたいと思う。



いきなり結論から言ってしまえば、私がKinKi Kidsのファンになかなかなれなかったのは、KinKi Kidsのファンになるよりも先に堂本光一のファンになり、堂本剛のファンになってしまったからだった。
そもそもKinKi Kidsを好きなったタイミングが悪かったというか、今思えば最高のタイミングだったと思うけど、なんとも微妙な時期に好きになってしまったのかなと思っていた。
ちょうどKinKi Kidsのことが気になって色々調べ始めたのが去年の年末あたりで、ぎりぎり乙コンには間に合わなかったから、Twitterのレポでどうやら今年はPボーンがプレゼントだったらしいこととか、カウントダウンでふたり揃って出だしを間違えたことを嬉しそうに話す様子とか、それがばっちりWSに抜かれてたりとか、そんな話をにやにやと眺めていたけれど、次にコンサートに行けるのは来年なのかと思うと、少し凹んだりもした。
当然SHOCKの申し込みにもTU FUNKの申し込みにも間に合っていないので、そのころの私にとってはCDやBlu-rayが全てだった。
KinKi Kids堂本光一のソロも堂本剛のソロも、繰り返し見たし聴いた。

そのころから、私の中にはどこか違和感というか、もやもやしたものがあった。
しばらくして、5月に光一さんのソロのBlu-rayが出るという発表があった。
そして、6月には剛さんのソロのBlu-rayとアルバムが出るという発表があった。
それぞれの最新の活動が知れるということが楽しみな反面、私は不安で仕方なかった。たぶん、このもやもやした感情の正体に気が付いてしまうのではないかと思ったから。


予感は的中した。
だって、どっちも最高だったんだ。
堂本光一の作る世界観。照明の美しさ、格好良さ。ソウルフルで繊細なダンス。
堂本剛の音楽。最高に自由でファンクで、格好良くて泣けてさ。
何より、ふたりが楽しそうだった。全力で自分がやりたいことと向き合ってるって感じた。
それは、正直に言ってしまえば、KinKi Kidsとして活動しているときより、ずっと生き生きと輝いて見えるってことだった。

もちろんこれは私の個人的な感じ方だし、そもそもユニットとソロの活動を比べること自体が間違っていたと今ならわかるけれど、当時の私はなかなか割り切ることができなかった。
だからこそ、私は自分自身をKinKi Kidsのファンだとは言えないと思った。
他のファンの方々が言うように、KinKi Kidsの活動を増やして欲しいと、そのときは心の底からは思えなかったから。

それでもKinKi Kidsは好きだった。
でもそれはKinKi Kidsの作るものが好きというよりは、その関係性が好きというのに近くて、言ってしまえばコンテンツとして「消費」しているようなものだった。ずっと罪悪感みたいなものもあった。
KinKi Kidsの作るものが好きって、胸を張ってKinKi Kidsのファンですって言えるようになりたかった。


そんななか、7月にシングル「薔薇と太陽」がリリースされた。
現金だけど、ぐっと引き戻された気がした。
剛さんがギターを弾き、光一さんが踊る。
ふたりにしかできない表現があるってことを思い知らせてくれた気がした。
そしてそのことを、ふたりもやっと、やっとという表現が適切かどうかわからないけれど、やっとどこかで手応えを感じられているのかもしれないなんて、勝手に思っていた。

そこから先はあっという間だった。
アリーナツアーそして先日の東京ドームでのコンサート。
一体私は何を不安に思っていたんだろうってくらい、KinKi Kidsのコンサートは素晴らしかった。
あの空間は、KinKi Kidsだから作れるもの、KinKi Kidsじゃなきゃ作れないものだった。

特に、東京ドーム。
だって、あの広い東京ドームで、5万5千人の前で、たったふたりメインステージだけで本編を魅せきるんだよ?
すっごくシンプルで贅沢で、ふたりがふたりのために作ったコンサートだって思った。
もう彼らには豪華な演出は要らないし(照明の変態っぷりは増してたけど)、特別なファンサービスも要らない。
ふたりがそこにいるだけで、ふたりが歌うだけで、KinKi Kidsなんだって、何よりそれをふたりが自覚しているのなら、もう最強だ。


そして、ふたりが本当に楽しそうだった。
ソロコーナーで、光一さんは5万5千人をダンスで、歌で魅了して。全員がただひとりの一挙手一投足にあんなに熱くなって。
剛さんは圧倒的なバラードで惹きつけたと思えば、5万5千人を熱狂的に飛ばせて宇宙まで連れて行ってくれた。
そしてそこから一気に「薔薇と太陽」になだれ込んで、ふたりが歌い踊る。
あのイントロが流れてきた瞬間の、ドームを揺るがすほどの興奮が、あの客席全体の温度がさらに一層上がるようなあの瞬間が、忘れられない。


もしかしたら、別に今回がたまたま良かったわけじゃなくて、昔からずっとファンの方にとってみれば、昔から変わらず素晴らしいんだって言われるかもしれない。
私にとって初めてのコンサートだったから、特別に感じただけなのかもしれない。

でも、ど新規ファンながら、今年一年で私が感じたことは意外と見当はずれでもないんじゃないかと思う。
たとえば「陽炎」という曲を剛さんが作ったこと。今回のコンサートの構成に光一さんがかなり関わったらしいということ。
ふたりだからできるものを作るということについて、それぞれが色々な場面で言及していること。
何となく、ふたりにとっても今年がひとつの転機で、KinKi Kidsのあり方について改めて何か発見があった年なのかもしれないと感じた。
もしそうなのだとしたら、それをリアルタイムで感じられたこと、そしてこれからのKinKi Kidsにも、堂本光一にも、堂本剛にも、まだまだ期待していいんだって思えることが、純粋にとても嬉しいと思う。


優先順位はつけられない。
人生は一度きりと剛さんが言うなかで、ふたりの人生はやっぱり何よりもふたりがやりたいことのために使ってほしいと思う。
でもそれはソロだけじゃないんだってわかったから。
これから先、堂本光一としても、堂本剛としても、そしてKinKi Kidsとしても、最高のものを見せ続けてくれるって信じてるから。
今なら胸を張って言える。私は堂本光一のファンであり、堂本剛のファンであり、KinKi Kidsのファンだって。

 

什器の話

友達と会う約束があるときはだいたい約束の時間の1時間から30分くらい早く着くようにして、その近くの本屋さんに行きます。

いつものように早めに現地に着いたので、どこか近くに本屋さんがないかと探したところ、駅ビルの中に丸善があるというので、早速向かってみました。

エスカレーターをあがって正面には文房具売場があり、丸善らしい雰囲気を感じながら店の奥に進むと、ずらりと並ぶ書棚が。

しかしそこで、唐突な違和感に立ち尽くしてしまったのです。理由もわからないまま、私は混乱の渦に巻き込まれました。何か変なのはわかるけど一体何が変なのか・・・・・・。

しばらく眺めているうちに、ようやく気がつきました。違和感の正体は棚でした。棚といっても中身ではなく外見、つまり什器です。

どっしりとした末広がりの黒い木の什器は、ジュンク堂の什器として見慣れたものでした。逆に言えば、丸善という屋号を頭に入れた状態で見るには、あまりに違和感のある光景だったのです。

 

今では丸善ジュンク堂の什器が入っている光景はよく見かけるものとなりましたし、そもそも丸善ジュンクでもお店によって什器も様々で、所謂丸善の什器といって思い浮かべる白っぽい金属の棚を見る機会のほうが減った気がします。こうして書いておきながら丸善の什器って本当にあれだったっけと少し自信がなくなるくらい。

たしかそのころは丸善ジュンクは業務提携を発表していたものの、また統合はしていなかったと思います。というより、そのころの私には本屋さんを取り巻く業界の動向なんて全くわからず、丸善丸善ジュンク堂ジュンク堂でした。

そうしたなかで、目の前に広がる光景が思ってた本屋さんではないという違和感が、思いがけず私にとってはショッキングな出来事だったのです。

そして、無意識のうちに什器と書店を結びつけて考えていたことに気がついたのでした。

 

この出来事をきっかけに、私の書店での楽しみがひとつ増えました。什器を観察すること。意識的に観察してみると、意外とお店によって特徴があって面白いことがわかります。

 

たとえばくまざわ書店では、アクリルの什器が使われています。

特に店頭の新刊・話題書コーナーで活用されていることが多いですが、透明な什器のおかげで本そのものが引き立ち、面陳の表紙も目立ちやすくなっています。

一方で、横浜ランドマークタワー内の店舗のように、店前の通路に面してさながらショーウィンドーのような役割を担っていることもあります。

 

今まで見てきた中で一番好きな什器は、ブックファーストの雑誌の什器です。

雑誌の什器というと、面陳を数段重ねて差すマガジンラックのようなものが一般的ですが、ブックファーストの什器は面陳できるのは一段のみ。

さらに什器の上部に照明がついていて、面陳された表紙を美しく照らしています。

ここまで雑誌が映える什器は他にないのではないかと思いました。

ブックファーストではほとんどの什器に照明がついていて、小さいスペースに棚を詰め込んだ店舗の多いイメージですが、おかげで圧迫感は少なく、落ち着いた印象を与えてくれます。

 

 

ところで、この話を友人にしたところ、そもそも屋号で書店を区別すること自体がわからないと言われたこともありました。

たしかに普段書店に行かない人にとっては、「駅の本屋」「大学の近くの本屋」「ショッピングモールの本屋」というくらいで、「BOOKEXPRESS」「あゆみBOOKS」「くまざわ書店」なんて名前は関係ないのかもしれません。

本が好きな人にとっては、屋号・立地・大きさから何となく自分がいま欲しい本がそのお店に売っているかどうかの想像もつきます。

メジャーなコミックの新刊だったらBOOKEXPRESSでも買えるだろうけど、人文書の新刊はなさそうだからあっちまで行くか、とか。

でもそうじゃない人にとっては、どこの本屋さんも同じだから、自分が欲しい本が売っていなければ、失望してしまう。これって意外と難しい問題なのかも。

 

ブックカバーの誘惑はあるけれど

本が好きです。


一番初めに「好きな人や物が多過ぎて見放されてしまいそうだ」(「月に負け犬」椎名林檎)のようなことを書いておいてあれですが、もし何か一つだけ好きな物を挙げろと言われれば本が好き、読書が趣味というくらいには本が好きです。
胸を張って言えるほどの量は読んでないけど、駅の小さな本屋さんも含めればだいたい毎日本屋さんには行くし、鞄に一冊は本を入れておきたいし、月に使うお金は本代かアイドル代が一番を占めていると思う。

 


そんな私にとって目下最大の悩み事が「可愛いブックカバー多すぎ問題」です。
読書雑貨って最近増えましたよね。書店の複合化の流れで雑貨を扱う書店が増えたことや書店と相性のいい雑貨は何かと言えば当然読書関連商品だということから、気がつけば読書雑貨専門のブランドまでできるくらい、市場が拡大しているのかなと感じます。
そもそもファッション読書みたいなものもあるし、ちょっとお洒落なブックカバーつけてカフェで読書とかしたいじゃん?
あるいはペンとか付箋とかを入れておけるポーチみたいなブックカバーとか、自分で大きさを変えてどんな判型にも対応できるブックカバーとか、絶対便利。
というかわざわざ買わなくても、本屋さんでもらえる書皮(いわゆる紙のカバー)も十分デザインが凝っててそのまま使いたくなるくらい。最近は書皮を特集した本まで出てるとか。

そんなわけで「どれを使おうか迷っちゃう~」みたいな悩みだったらよかったんですが。
問題はそこではないのです。
何より問題なのはこんなに魅力的なブックカバーが多いなか、私自身はブックカバーを使いたくない派だということなんです。

 

たとえば電車の中で、目の前に座っている方がお洒落なブックカバーをつけた本を熱心に読んでいるとして、「わあ、ブックカバー素敵!」となりますか?
私だったら
「あなたがそんなに熱心に読んでいるその本のタイトルは何なのよ!見せてよ!」
という気持ちです。
むしろブックカバー邪魔。

かろうじて見える柱から何の本だか推察しようとしたり、あの組版なら講談社文庫かなとか予測したり。気になって仕方がない。
目の前に面白そうな本があるのにタイトルがわからないときの焦れったさといったら!
スマフォ片手に調べてはみるものの、探し出せないことも多々あるのです。いっそ話しかけて聞いてしまおうかと思ったことも数知れず。いまだに実行に移したことはないのですが。


ちなみにいま「電車 読書 のぞき」でぐぐってみたら、Webちくまで武田砂鉄さんが「のぞきみ読書」という連載をされていました。
のぞきみ読書で焦れったい思いをされたことがある方、どうかご自身もブックカバーをつけずに本を読んでくださいませ。


それにやっぱり、こんな面白い本読んでるんだよって、自慢したいじゃないですか。こんなに面白い本があるんだよって知ってほしいじゃないですか。
ジェラールの欲望の三角形じゃないですけど、誰しも他人が持っているものは気になるわけで、もしかしたら私のこの一瞬がきっかけで誰かが本を買ってくれるかもしれないと思って、心持ち表紙が見えやすいような角度を意識してみたりして。(もちろん満員電車では邪魔にならないように配慮した上で)

私、いつかどこかで出会ってみたい光景があるんです。
「重版出来」(松田奈緒子)の1巻で、出版社の営業担当がメインのお話があって、最後の方シーンで、電車の中で何人もの人が、その人が担当したコミックや、その掲載紙、特集の雑誌を読んでいるっていう光景が描かれているんです。
いま、朝の電車を眺めてみても、カフェに入って周りを見渡してみても、人々が手にしているのはスマートフォンばかり。本を読んでいる人の割合は、何%くらいだろうと考えてしまうことがあります。
この割合が少しでも増えたら、「あれ、最近読書ブームでもあるのかな」なんて思う人が出てきたら、もしかしたら少しだけ、本の未来が明るくなることがあるのかもしれないなんて、夢を見ているんです。


消費の原則にも単純接触効果というものもあるわけで、普段全く本屋さんに行かない人にとっては、本というものに接触する機会自体が失われつつあるとすれば、「本を読んでいる人がいるな」という認識だけでも、少しは影響があるかもしれません。
だから、本が好きで、これから先も豊かな本の文化の広がりが続いてほしいと願っている方々には、ぜひ積極的に外で本を読んでほしい。
そして、できれば何を読んでいるかわかるように、ブックカバーはつけないでほしいな、なんて。


とはいえ、何を読んでいるか知られたくないという人も当然いらっしゃると思うので、そういう方はブックカバーを使っていただいた方がいいと思うのですが、中には表紙が汚れるのが嫌だとか、鞄の中で折れるのが嫌だからという理由でブックカバーを使うという方もいらっしゃると思うんです。

タイトルは見えてもいいけど、本を汚したくないからカバーはかけたいという場合はどうしたらいいのか……。
そこでためしに「背表紙だけ見えるブックカバー」をぐぐってみたら、「UN TROIS CINQのブックカバー」というものがありました。背表紙の部分が透明窓になっていて、再剥離仕様のシールで背表紙を見せたり隠したりできるというものです。

え、これよくないですか?むしろ背表紙だけ見せることでタイトルを主張できる……?
残念ながらメーカー在庫終了のようで、いまは手に入らないみたいです。
ちょっと使ってみたかったな。再販されるか、どこかで同じような商品が作られることを期待しています。

そして願わくばこの先、可愛くてお洒落で欲しくなってしまうブックカバーなんかに出会わずに済みますように!